賢いということ

きっかけ

Youtube を観ていると最近「〇〇な人は頭悪いです」というフレーズをちょくちょく見かけた。そんな単純なわけないよ、とスルーしても何度もホームに出てきて、「興味がない」しても不死鳥のごとく甦る。

一体何があるんだろうと思って観察してみると、自分の見た範囲では発信者は意図的にか「自分の頭が良い」とは決して発言しない点が興味深かった。

だから、お前こそ頭わるいじゃん、という反射的な指摘を引き出しつつ、それがある意味的外れになっている構図が巧妙だと感心した。そして、「頭がよい」って何よ、とモヤモヤした。

頭が良いってどういうこと

自分なりに考えてみたところ、まずIQのことが思い出され、するとフォン・ノイマン、以上となった。これはヒドイ。つまらないし参考にならない。

フォン・ノイマンを置いてしまうと並みいる歴史上の大天才達すらたかが地球人レベルでしょう?と色あせて見えてしまい、一体何の話だっけということになる。

だから個体の能力の測定値はその辺にして、誰しもが持っているポテンシャルをいかに引き出すかに関心を移そうと思う。(フォン・ノイマンでも人の知能をあまさず再現する芸当はできてないから、知能一般の謎というアプローチのが有意義なテーマだと思う)

それでTL😜Rすると、

賢いことには際限がなく、自分はどうしようもなく愚かな側だ

と自覚することが「賢い」という状態ではないかと考えてみた。

これは次の決意を表している:

  • 賢さの量は数直線のようなもので、人ごときが大きさを追いかけてもたかが知れている
  • 自分の両目は前にしかついておらず、頭は同時に1つのことしか考えられないため、毎秒毎秒沢山見落としている
  • どの瞬間もほとんどの意味においてレベル1のNewBeeだ
  • 判ったと思った時、こうしようと決めたとき、いつももっと良い手が視界の端に転がっている
  • だから常に頭を働かしよく観察し耳をそばだてていなければならない

そして、持続可能であるために、

  • むやみな高速回転は疲れるのでよくない
  • 景色がよく見えるマイペースで味わいながら歩を進める
  • 価値のある一手を選んで打っていく

以上の自覚を保ちながら行動すると、誰しもその人なりに賢く振舞った結果が得られるのではないだろうか。
(上記の自覚があればこそ、どうしたって自分は不完全なのだから気づいたことを積極的にアウトプットしてみることもまたアリだと思う)

これを人外レベルで維持し続けているかのようなイメージにピッタリなのが、福本伸行先生の漫画『賭博覇王伝 零』の主人公。そして、カイジは勝ちたい、という動物的な本能エネルギーが爆発した時に同じ境地に至って大逆転していると思う。

賭博覇王伝 零 1

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人の知能は機械のように高速回転で大きな仕事をやるのではなく、ゆっくりと、ひょいっと階段を上がるように別次元へ別次元へと移動し続けるところが不可思議な特徴だと思う。

ところで

フォン・ノイマンの哲学』を読んで、頭脳の驚異について大いに楽しみ舌を巻いたものの、確かに地球人レベルを超越した火星人級の頭脳だったけれど、火星人連中に言わせたら「無能な働きもの」なんじゃないかとも思った。

彼は結局その頭脳でもって核兵器実用化に不可欠な貢献をしたが、今まさに噴出している人類文明にとっての大いなる汚物というか脅威というか課題を残したままさっさとおさらばしてしまった。

実用化にかまけず、その頭脳を核兵器無力化の理論なり実装に傾けていたら彼はもっと長生きできて重要な実績を増やし、状況を変えられたかもしれないのに。