中国の興味深い実験

人の遺伝子を調べたら頭脳の向き不向きが分かっちゃうので、苦手なことをなんぼやらせたって無駄なんだから得意なことに集中させるような教育体制にするべき、というようなことをノーベル賞とった人が言っているけどどう思いますか、という趣旨の講義をちょっと昔に受けたことがあった。

その対立意見として、得手不得手に関わらず、全員が全教科満遍なく学習していくべきという、たぶん今の日本で採用されている教育の立場も併せて紹介されて、大体はこちらに賛成、あちらはちょっと過激ではないかという意見が出ていたように思う。

こんなことを思い出したのも、つい先日のワイドショーに中国の教育が今すごいというトピックが出て、まさに幼児の遺伝子を調べて、“才能ありと判明”したことを集中的に英才教育で伸ばしていくということが、なんと一般家庭で行われている、恐るべし中国!とやっていたからだった。おぉぉ中国!

この教育が一体どんな結果をもたらすのか、非常に興味がある。ただ、そこはかとなく危なっかしい気もする。基本、自然のものというか、複雑系のものというか、その手のもの事に対して効率主義みたいな分かりやすい理屈をあてがってねじ伏せようとしたら、今まで大体しっぺ返しをくらってきたじゃありませんか。

ノーベル賞の人の話はどうも産業とか国力の増強というものが念頭の第一義にあって、そこから効率的なアプローチという流れで遺伝子の話を持ち出していて、その教育を受けた人がどういう人生を送るかにはそれほど関心がないように思われ、なんだかいかにも足を捻挫しそうな気配があった。

しかし、これを本当にやってしまう中国は、今貪欲に成長中、こんなのもありよ、という勢いがむんむんと発散されている。祭りのさなか、捻挫しそうなんて気にしてる場合ではないということか。

危なっかしいという話はこの際置いといて、国に「あなたはコレが得意なんだから余計なことは考えずコレやってなさい」と言われてその通りにがんばる人生も意外と悪くないかもしれない、と考えてみる。やりたいことを追いかけて年を取ってもまともにやれない見向きもされない悲劇に比べたら、才能を十分に発揮して、卓越して、社会に必要とされるなんて得がたい幸せで、ちゃんと幸福感もともなうんじゃないかという気がしてくる。

さらに翻って、才能として備わっていることと、やりたいことが結構ずれていたりするのが人間の面白いところとも考えてみる。才能はエネルギーロスの少ないバイパス、やりたいことというのは方向性のある推進エネルギー。両者の食い違いが面白い軌跡を描かせたり、道なき道を切り拓かせたりと、新しいモノの創造の原動力になっている気がする。羽の無い人間が空を飛ぼうともがくのを微笑みながら見守る立場か。

というわけで、理性的で安定志向なのが前者で動物的で予測不可能なのが後者というくらいに考えて置こうっと。