ある日曜日の白昼夢

DVDで映画を鑑賞できるということは

今はBlu-ray?いやむしろネットのバイナリストリーム時代、本質は変わらずデジタル。

DVD時代ではピックアップレンズがディスクの凹凸をデジタルとして読み取り、画像と音声を復元展開して光や音に変換する。ピックアップレンズは 01001110100.... みたいな一連のデータをひたすら読み取っていくのだが、解釈の異なる区間こそあれ全部繋げて1つの整数とみなせる。「作品が異なる」とは「整数が異なる」だけ。つまり、人が感動したり体感するコンテンツは数直線上のたった1点の整数値で表現できてしまうと考えることもできる。

それで、数直線には果てがないことから、ある人の人生全体を十分リアルに体験できる1つの整数がもう存在していると考えることも、無数の人生についてもそうだと考えることもできる。

現実空間は一次元に還元できること

電子などの量子は存在できる位置が確率的に決まっていて、連続に自由な座標をとれるわけではないという意味で、空間には解像度が存在するという話をネット記事で読んだことがある。その考え方を採用するなら、この宇宙全体を有限なデジタルデータに閉じ込めて、人の感覚器官や意識が享受するのに十分表現可能なポイントがありそうだ。

僕らは宇宙をそれぞれ連続無限な3次元の空間と考えがちだが、各次元をもっとささやかに、実数直線上で長さ1の有限な区間([n,n+1))みたいに切り取って、それを好きな数でグリッドに分割してx軸と名付ける。同様にy軸、z軸、他にも時間軸やエネルギー密度軸など自由に作ってささやか宇宙としてモデル化する。好きな数を決めてしまうことで有限になるとはいえ、決め方には制限が無いので、リアルな体験くらいならこの条件でも十分と考えられる。

たった1つの数に宇宙の生涯を収納したり、宇宙番号軸も追加してマルチバースの収納も可能に思える。

この宇宙の生涯を表現し尽くした数

忘れてならないのは数値の「解釈」で、同じ値でも圧縮アルゴリズムや次元の設定次第でことなる復元結果になり得る。だから、1つの数値が唯一の真実を表すことにはならなそうでもあり、ならばそこから先はもう何でもありじゃないかという話になってくるが、それはさておき円周率πという特異点、この秘密めいた数値は何だということも気にかかる。

仮にπを何か深遠なアルゴリズムで解釈してやると、この宇宙の生涯へと展開できるものとする。僕たちは五感あるいは感情を含む六感で宇宙を体験しているので、それらが含まれているに違いない。3.141592.. と3で始まるのも、この宇宙は空っぽの3次元空間から始まるみたいに見えてくるし、この地球にある三元牌という単語もひっそり差し込まれたユーモアに思えてくる。

また、宇宙の果てや最期が観測できないことはπが具体的な数値として確定できないことに関係していそうである。そのせいで「表現し尽くし」ていなさそうなのが歯がゆい。

ブラックホールの中から宇宙を眺めてみる

ブラックホールは物理空間の特異点で、その中はどうなっているのか、論理的に定義しようがない領域ということである。ってことはイマジナリーにしか到達できない領域といえる。

だったら自分で定義すればいいじゃないか!

さて、長年の努力の甲斐あってついに例のガルガンチュアのような神々しい威容への接近に漕ぎつける。ところで、傍からこの様子を観察すると、ブラックホール周辺に張り付いて全く動かなくなってしまうらしい。重力の影響でブラックホール周辺の時間の進みが極端に遅くなるのである。

事象の地平線に差し掛かるにつれ真っ暗だった背景が何だか明るくなってくる。よくみると背景全体に広がっていた銀河や星々や暗闇がぎゅーっと弧を描いて伸び始め、ある一点に集まってきている。最終的にそれらは強烈な光を放つビー玉サイズへ収束していく。その光景に心を奪われていると、ふと、ビー玉を手にのせて凝視している自分に気がつく。目の前には旧友がいて、おかえりとあいさつ。

もう一度ビー玉をよく覗いてみると、片方の極に3.141592..とあり、反対側の極は..2951413で終わっている(いや、..22221111のような気もする)。どうやら、このビー玉宇宙の開闢から寿命の終わりまでの体感ツアーが終了したようだ。ビー玉宇宙からするとここは時間が完全に止まった、あるいは逆戻りしている世界であり、この世界からみればビー玉宇宙のすべての時間は一瞬で過ぎ去る、あるいは一瞬で引き戻せる、つまりは同時に存在する、物質化しているというわけである。

ビー玉宇宙の円周率πは宇宙の最期とともにすべての観測者を失ったので以降の体感データ収納を必要とせず完結するに至る。

元の世界で

意識がここに戻ってきたとき、旧友の姿が少し奇妙に思えたが、むしろすぐにビー玉宇宙での体感アバターの方が不出来でいびつに感じ始める。なんであんな五体デザインなんだと笑えてさえくる。まるで昔のFPSゲームの没頭から我に返ったときみたいに。

旧友は他にもいろいろなビー玉を持っていて、3.1415926535から先が微妙にことなっていたり、4から始まるものだったり、5からはじまるものだったり、それこそ無数にあるようだった。目の前でその一つを2秒ほど見つめて「帰って」きたりしていたので、円周率のサイズが気になっていた自分は何の気なしに手のひらのビー玉をのぞき込むと、キーボードをたたいている自分に気が付く。しまった戻れないと思ったが後の祭り、やがてなんていびつな白昼夢かと感じ始める。

内容とは関係ないけどイマジネーション解放のお供に。

左脳さん、右脳さん。: あなたにも体感できる意識変容の5ステップ