異界の料理店 2

type-A

ラーメンはいろいろなポイントで我々を楽しませてくれる。スープ、麺のこし、麺とスープの絡み、やわらかくて旨い焼豚といった点だ。私はいわゆるラーメン通ではないが、それくらいの違いというものは分かる。優れたラーメンはとても饒舌にストーリーを語る。我々は隅々まで巧みに描写される物語にすっかり心を奪われ、時間を忘れてその一時を楽しむのである。


しかし、中華そばは沈黙していた。


語り下手なラーメンはあるだろう。伝えたいことは分かるが、いまいち洗練されておらず、またこの話を聴きたいとまでは思わないといった具合に。しかし、我々が代金を払ってもてなしを期待することで自然に想定されるその種の可能性は超越されていた。


中華そばは沈黙していたのである。


私が麺をすすったり、スープを飲んだり、香りを確かめたりと、「調子はどう?」とか「ご飯食べてる?」とか「ご家族は?」とかいろんな問いかけをしても、旨味やこくの抜け落ちたような過剰なあっさり感で「さあ」とか「別に」とかそっけない。


それは本番がずっと先で全く緊張感の無いリハーサルの舞台だった。それは10年後に自分が敏腕セールスマンになるとは夢にも知らない受験生だった。それは熟していない果物だった。とにかくそれは本来の役目を果たす条件がまだ揃っていない何かだった。


中華そばは私に全く興味がないかのようにひたすらつれなかった。人にそういう態度をとられた時に感じるのと同じように、私はなんだか不愉快な気持ちになった。


私はふとパーティーを見た。


皆、レンゲや箸を止め、自分の好奇心がもたらした報いと向き合って沈黙していた。私たちはやはりここに来るべきではなかったのだ。どう計算しても全く経験値が足りない(否、実は一人黙々と箸を進めている者がいた。彼は体格優れたたくましい"戦士"だったので、かなりの難題をねじ伏せるパワーをもっていた)。ともかく、私たちはディズニーの『ピノキオ』に出てくる呪われたロバのように目の前の運命を受け入れるしかなかった。



目の前でギョウザが口を開けて笑っていた。


(つづく)