つぶやきの渦

ドラマにも取り上げられ、間もなく新奇性の部分は食べつくされて世の中的には下降線に入ったかもしれないこのタイミングで、ツイッターに手を出して2週間ほどが過ぎた。ほぼ同じタイミングであの糸井先生も始められたようで、こんなコラムを書いている。

触れてみて自分も色々と感じることがあったし、ここいらで少し感想でも書いてみる。書いてみて、これは実に初心者の感じることで、仮に読んでへぇと思う者があるとすれば、その人はきっとツイッター未経験者だと思う。

ツイッターは、各々のアカウントが別のアカウントを一方的にフォローする(つぶやきを受信する)という仕組みで出来ている。とってもシンプル。いきなり余談だけど、シンプルな要素が織り成す全体が面白いものになるっていうのは、なんとなく舶来ものというイメージがある。世界が外へ外へと広がっていく方式。身の回りはつまらなくてもずうっと遠くへ歩いていったら何か面白いものに出会えるだろうみたいな。対して日本は、箱庭的というか、1コの要素自体を作りこんでいくような、内へ内へと分解して深めていくイメージ。どうやったら身の回りが面白くなるだろう、と座り込んで考えてるみたいな。

さて、ツイッター、これが広がりのある世界で、そこへぽーんと投げ出された感じがちゃんと実感として得られるのが面白い。それを可能にしているのがフォロワー数という指標で、この世界でどれだけ注目を集めているのかが数値化されて露わに見えてしまう。それこそ暗闇でぱっと明かりをつけたように。ホリエモンが50万、孫社長が30万、鳩山総理が64万、谷垣総裁が5万、東知事が16万…。自分とほぼ同じタイミングで始めた糸井さんが開始数時間後には5万、対して自分は2(笑。この生々しい差を見たら、まるで少年ジャンプの世界に入り込んだような気がした。海王類みたいな捕獲レベル80付近の化け物がうごめいている所に、スカウターで覗いたら戦闘力2の自分が立っている。周りをみれば、自分と似たような人が大勢いる。そんなふざけた世界が現実にあるだと…。ぞくぞくっとした。
ちなみに、ここ数年ずっとFANをさせてもらっている Mr.AtoZ は80万以上、よく知らない米国のおばさんが200万で、オバマ大統領は300万以上だと聞いた。リアルワールドは、本当は漫画のようにでっかくて広かったのだw

今のところ、ツイッターの使い方に2種類あると認識している。
一つは、自分の関心あるアカウントだけをフォローし、日常のつぶやきを残していくもの。もう一つはとにかく沢山のアカウントをフォローし、その結果として沢山フォローされながら、そこに140字の何かを投げかけていくもの*1。後者は主にビジネスやブログの導入として活用したい人のスタイル。このブログをご覧のように、誰かに注目されようなどと発想しない自分は、間違いなく前者のスタイルをとっていたはずだった。しかし、事情があって後者を選択することになった*2が、意外にもこっちのスタイルは面白かった。

例えば、自分が見てきた後者スタイルの人にはWEB制作やコンサルタントをしているという人が沢山いる。考えたら当たり前なのかもしれないけど、実際に数多く彼らのアカウントにフォローしたりされたりしていると、ああ本当に沢山いるんだなぁと実感されてくる。こうなったらもう、コンサルってテレビに出てくるスーパー外科医じゃなくて、近所のあの人の事やん、くらいに思えてくる。それが的を射ているかは知らないが、せまい世界ではどうにもならないはずの自分の感覚は、実感をともなってそう変化してしまった。
夜まとめてフォローしておいたら、翌朝8:15くらいにそのお返しフォローが一気にはじまって、携帯うるさいと目を覚ましたこともあった。もう反射的に、「ゲゲゲの女房」を見終わってツイッター確認している沢山の人たちが思い浮かんだ。

つぶやき自体にもこんなことがある。あちこちで「いい事」や「格言」が同じようにつぶやかれていて、バーゲンセールのようになっている。そうした中で、「いい事」みたいに派手じゃなくてありがちだけど、顧客とのやりとりで印象に残った出来事、みたいな実感のこもったつぶやきにグッと来ることがあった。言葉の持つ魅力というか魔力とは何なんだろうと考えさせられる。
コラムの中で糸井さんは、なんでもない人がなんでもない事をつぶやいてしまったら読む価値は薄いと書いていて、全くその通りだと思うけど、それこそ最初に書いた「日本」的な切り口なのではないかと思う。つまり、一個の要素をどうやって面白くするかに着目していると*3。でも、「舶来」的に見たら、つまらない一個はツイッターの世界を形成する必須要素だと思う。一個の要素がありのままだから、面白くない風景がずーっと続いていった先に、何かありそうな世界が成立する。それは、いろんな人物が一直線上に並ばされて如実にその大きさを比較されるマンガのような世界でもある。実際、フォロー数を増やしていっても、比例して面白い要素が増えるなんてことは全然なくて、まずまずの風景が広がるばかり。でも、その中で、あるタイミングで誰かからオッと思うつぶやきがこぼれたりすると、貴重なものを掘り当てたようで無性に嬉しくなる。頑張って作られた面白いものだけが抽出されてしまったら、こことは違うテレビの世界に逆戻りでなんかもうわくわくしない。だから「つぶやき」なのだと思う。

数多くフォローしていけば、それこそどんな人であろうと、自分の到達範囲を大きく越えて社会を俯瞰しているような感覚を、頭で理解したり想像したりするのではなく、目で見たり手で触わったりするように味わえるのではないだろうか。そう言ってしまうと、勝手な想像が根拠になった大げさな表現だけど、少なくとも何か巨大なもののお腹に手を置いてその息遣いを確かめているくらいな感じは味わえるんじゃないだろうか。もちろん、それが実相なのかはさておき。


今はツイッターUSTREAMを使ったいろんな人の試みを味わっているところだけど、多分その辺りは落ち着きどころじゃなくて、もっと面白い形がこれから発見されてくるんじゃないかと予感している。

*1:亜種として、フォロー返しを確認してからフォローを解除し、フォロー数<<フォロワー数を維持して有名人を演出しているブロガーさんがいた。工夫して卓越しようと頑張る生物界のような面白さ…!

*2:ここへは導入しません

*3:それは先生の仕事なのだから至極当然の事だと思っています。