海辺のカフカ

type-A

昨日読了。これで学校の図書館に置いてある『村上春樹』シリーズは読んでしまったかもしれない。いったんいくつか書き留めてある他の著者の本も読んでみようかという気になった。

海辺のカフカ〈上〉


海辺のカフカは、以前読んだねじまき鳥クロニクルに似た印象を持った。人間の深層意識と現実が不思議な関わり方をするお話。ダンス・ダンス・ダンスもそうだっけか。それにしてもこれはSFなのだろうか。深く考えても仕方ないのか、考える価値のあるものなのか、読んでみてピンとこないなら、いつかまた読んでもいいかもしれない。

海辺のカフカ〈下〉


村上春樹の描く登場人物は、大抵主人公系のキャラクター以外はものごとを“分かって”しまっていて、主人公は類まれなる物分りのよさでそうした人や状況に最短距離で順応していく。動かないものは動かないんだから、小賢しい質問は無用といった空気があって、登場人物は皆そうした空気をしっかり汲んで、とっても要領がよくて話のテンポがいい。ここらへん著者が小説に求めているものが見えるような気がする。

海辺のカフカ (上) (新潮文庫)

15歳の少年があんな口を利くかという話がある。確かに自分はそんなではなかった。でも、そんなコがいてもいいじゃないですかという気はした。ねじまき鳥〜と対比させると*1、それの30代の主人公との違いは根本的にはない気がする。特に少年が未熟という感じもなく。15歳の少年はしきりに顔が赤くなるけど、そんなとってつけたようなジェスチャーでは15歳という設定に納得できんぞと思った(笑

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

四国が舞台になるが、高知県人としては少し嬉しかった。マツダ・ロードスターに乗って高知に向かうくだりなんかピクッときた。あと、2002年の出版という新しさか、登場人物の言葉遣いが身近だ。携帯もようやく出てきたし。70〜90年代の全集を中心に読んでいたのでとにかく新鮮だった。昔の的確に本質をついた描写で時代を突き抜けた表現も好きだ。ねじまき鳥〜のコンピュータ通信について説明するくだりの言葉のチョイスとか実にグッときたし。


この物語の中には図書館が登場し、主人公はそこで働きながら本を読む。僕はその本を図書館のバイトをしながら読んでいた。合わせ鏡を見たような不思議な感覚だった。世の中の全ては別の何かの譬えとなるという話が頭に残っている。


さてさて次は不朽の名作と呼ばれるものを読もう。アリスとかモモとかそんな。

*1:文学的な対比というたいそうなものでなくて