「自己肯定感」という奇妙な用語

「パラレルワード」

最近本当によく耳にするようになったキーワード。
聴くたびパラレルワールドに迷い込んだ錯覚に陥るという話。

自己効力感とのニアミス

昔、教育学の講義で学習に関するキーワードとして「自己効力感」という概念を教わった。対義語は「学習性無力感」だろうか。 一方、「自己肯定感」なる用語は当時聞いた記憶が無い。*1

数年前、知人との会話で子どもさんの教育の話題になり、私見として、RPGみたく「自己効力感」が得続けられるバランスで学習要素を少しずつ自分で攻略していくデザインになっていれば云々と述べたことがあった。

その時、知人に「『自己肯定感』かぁ~、独りよがりなのもなぁ・・・」みたいに反応されて、何かニュアンス違うし、そんな言葉知らないし、まあ絶妙に隣り合わせな感じだし取り違えかくらいに思って流した。

そんな出くわし方をした。

使いどころが無いように見える、という抗議感

「自己肯定感」はどうやら世間では

  • 自分はこれでいいんだよ😀と思っていること

という肯定的なニュアンスで使われていて、ただ、それなら「自信」というよりピッタリな用語があるし、「自己肯定」じゃなくて「自己肯定”感”」という珍妙な姿のせいで知人がいったような

  • 他者の指摘に耳を貸さない気分
  • 自己暗示にかかっている感

みたいな否定的なニュアンスが見えてしまい、そんなに由緒正しくない、会話中に飛び出してしまったローカルスラングくらいに思われてしまう。

いつの間にか皆が使っていて事実が後付けされた感

そしたら、その後数年かけて「自己肯定感」を耳にする頻度が増え、由緒ある人たちさえしかるべき場所でバンバン使うようになったし、本当かよと調べたら学術用語でしたですけど?とかなっているし、ちょっと待って世界が何かおかしいの、と。

そんな言葉なかったよね感というか、パラレルワールド感がつきまとうキーワードに変貌している。あるいは、かの知人が現実改変能力を持った SCP アノマリ*2で、俺の言動に突っ込むことはさせねーよ感。

最後にまじめに考えると

実際やってみて、なるほどこうやればうまくいくわけね、という手応え(自己効力感)と、なら自分にもやっていけそうだと思うこと(自信)は通常一つながりの物語になっている。

そして今はデフレの時代で、まあ大抵の人が強制的にうまくいかない負け組になるメカニズムにはまり込んでいるため、オレナンカドーセっていう「自己否定」がデフォルト化してしまった。

そこで、うまくいかなくたって自分を否定しなくていいんだよ、とささやかな抵抗を表明する「消極的な自信」、「根拠薄弱だけど自信」、せめて自己暗示くらい許してよっていう、時代ならではの気分が口をついて出る哀しい用語といえばそうかもしれない。


追記

イチロー氏が同じ世界線から来ていることを確認しました。 https://www.youtube.com/watch?v=W1cksiP7NE0

という冗談をきっかけに、もうちょっと自分なりにこの言葉について、拭いきれない違和感を反芻してみた。

というのも、この言葉の背景には性的マイノリティとか周囲から浮いてしまう嫌な自分といった逃れがたい気質などの深刻な問題があることを公開後に認知したためである。

そこで、急ごしらえの思いつきで申し訳ないけれど、そうした状況を扱う用語として、例えば「存立肯定」という造語を提案してみます。これは「対象に自然に備わった気質や特徴によらずその対象を受容すること」というニュアンスを客観的に表現しようと意図しています。(単純な置き換えは不可能でしょうがピントの甘い用語で意思疎通に混乱をきたさないようにとの思いで)

*1:単なる記憶の選択かもしれない

*2:はてなタグが反応しなくて意外だった